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発売中のNumber [国内ボクシング]

現在発売中の「Number」に

何故か徳山の記事。



相手の長所を消す天才は
在日コリアンの英雄


との見出しの記事である。




冒頭に書かれているのは

2000年8月に大阪で行われた

王者チョ・インジュに徳山が挑戦した試合。



韓国の王者チョと、当時朝鮮籍のあった徳山との試合は
史上初の南北対決となり話題になった。




見開きの2ページのみの記事には
試合のことや徳山のコメント等は
詳しくは載っていない。



2007年3月に正式に引退するまでの経緯は
簡単に綴られ、




無敵の天才王者がタイトルを放りだして
引退に踏み切ったのはモチベーションの低下だった。

中略

もったいない話である。

後でどのあたりがボクサーとしてのピークだったかと
聞いたことがある。徳山の答えは

「ナバーロに勝った時でも、まだ強くなれると思っていた。」




との答えだったらしい。





発売中の「Number」ではなく、
2004年に発売されたNumber 594号には

4ページに渡って徳山の天才ぶりが書かれている。


徳山に負けた対戦相手の
コメントが実に興味深い。


しかしながら、この記事のタイトルは

「面白くないチャンピオン」である。


8度目の防衛戦、ロシアの強敵
キリロフ戦の前に徳山は

「たぶん、オモシロくない試合をやります。
 そうなればオレの勝ちですから。」

と語るところから記事は始まっている。



難敵相手に徳山はフルラウンドを
危なげなく戦い抜き
3-0の判定で防衛している。


輝かしいアマのキャリアを持ち、
プロになってからも連勝を続け
世界ランクを上昇させてきた技巧派のキリロフが
同じパンチを何度ももらい続けたのは何故か。


キリロフの答えは


「わからない」


だったそうだ。



徳山がタイトル初挑戦したチョ戦。


チョもまたアマのエリートで、
国際大会で優勝しプロになってからも
無敗で王者になり5度も防衛している
名選手だった。



試合後チョは


「徳山には勝てると思っていた。

5ラウンドぐらいまでは流して、
そこから前に出ていく作戦だった。

試合前日の計量で顔を合わせた時も、
強いという印象は受けなかった。

ただ、戦ってみて思ったことは、
徳山は鬱陶しい、
実にやりにくいボクサーだったということだ。」


とコメントしている。



さらに、2度戦った元王者
ジェリー・ペニャロサは


「徳山と対戦すると決まったとき、
必ず勝てると思ったんだ。

なんの特徴もない選手だと思った。
とてもイージーなファイトになるだろうと。

正直なところ、倒せると思っていた。
でも、実際に戦ってみると、
徳山は驚くほど強かった。」



その印象と現実の落差にペニャロサは


「それは、徳山が試合のたびに上達しているからだろうね。
彼は本当に上手くなっている。
日々、進化しているという感じだ。

いや、それどころか徳山は実際、
試合の間でも上達していくんだ。


戦ってみればわかるさ」



元チャンピオンは続けて



「彼はリングの上で自分のやりたいようにやる術を知っている。
こちらのボクシングをやらせてくれないんだ。

初めて戦ったとき本当に凄い奴だと思ったよ。

スタイリッシュなテクニシャンで、勝ちっぷりは
豪快ではないかも知れないけれど、

実際に戦ってみた者としては、彼はグレートな
チャンピオンだと言わざるをえない。


この間も、ロシアの挑戦者とやった試合を衛星放送で見て
本当に感心した。一緒に見ていた知人は

ロシア人が勝つと思っていたけど、
私は最初から徳山に100ペソ賭けたよ。

たしかに、あのロシア人も非常にすぐれたボクサーだったけどね。」



と、絶賛につぐ絶賛である。


敗者たちの証言を前に徳山は


サッカーの攻撃に例えて話すも
あまり良い例えではなく・・・


「だからオレは、まずひとつのジャブを当てようといつも考える。」


徳山はにわかに話を切り出し、



「ジャブが当たったら、相手は当然ジャブを警戒する。
すると、今度はジャブと見せかけて、同じ左でフックを打つ。

相手はジャブかフックか迷う。そしたら右ストレートを打つ。
そして次は右を打つフェイントから左。

こうやってどんどんフェイントが広がっていく。

相手は混乱してますます深みにはまる。

徳山ワールドへようこそって感じです。」




徳山はやりたいようにやる術を知っている。



ペニャロサの快活な口調が蘇る。



なおも徳山の話。


「それとね、試合中、たまにひらめくんですよ。
今、これ出したら、当たるんじゃないかと。

っていうか、忘れてるんですよ。
やってる間に、オレにはこういうパンチもあったんだって
思い出すんですよ。


ペニャロサが上達するって言ってたのは、
そういうことじゃないでしょうか。


それと、試合の途中で相手が打ってきたパンチを
真似して打ち返すこともあります。

これ良い攻撃だなと思ったら、
すぐに真似して、同じ攻撃を返しちゃう。

同じパンチ打ち返されて
コイツどう思ってるんだろうなぁって

試合やりながら考えたりして。

そういうのって、結構ありますよ。」


と徳山は語る。




相手が強いパンチを打ってきたとき、

反射的に同じように強いパンチを
打ち返してしまうことはよくあるが、

徳山は違う次元にいたようだ。




2度目の防衛戦では
韓国に乗り込んでチョと再戦をしている徳山。


計量の際にひと悶着があった。

徳山の体重がリミットを上回っていたのだ。

徳山は異変に気付き体重計を開けてみると
細工があった。


韓国はこういうところは本当に信用ならない。


かつて私が薫陶を受けた名伯楽のトレーナーが
選手を連れて真冬の韓国に遠征に行ったとき、

控室の窓ガラスが全部割られていたことがあったらしい。


ファンの質も悪い。

90年代に浅川誠二選手がフェザー級王者朴に挑戦。
韓国で試合をした際、TKO負けをした浅川選手が

花道をかえってくるとき、
ラーメンの残り汁をかけられたそうだ。


韓国での防衛戦は判定が盗まれる可能性も高い。




しかしこの時、
徳山は5Rに鮮やかな右ストレートでKO勝ちしている。





キャリア最高のパンチと言っていい一撃で。




この2004年に発売されたNumber 594号は

8度目の防衛戦のキリロフ戦の後に発売されたもので、


この次の9度目の防衛戦で徳山は
川嶋勝重に番狂わせの1RKO負けを喫する。



海外のボクシング誌 KOマガジンでは

2004年6月のFIGHTER OF THE MONTHに

川嶋が選ばれている。


KOマガジン (2).jpg




KOマガジンでは

各階級の4団体王者を含む
独自のランキングを作成していて

長らくスーパーフライのトップは
徳山だったが、この時は川嶋がトップになり、

徳山は7位に。


ムニョスが5位で
マーク・ジョンソンが6位、

8位にはモンティエルが名を連ねていた。


KOマガジン (1).jpg




因みにこの頃のパッキャオはフェザー級。


メイウェザーはスーパーライト級だった。



徳山は9度目の防衛に失敗した13か月後、
タイトルを取り返し、

1位のナバーロ相手に防衛戦を消化しタイトル返上。



その後、長谷川に対戦を要求していたが
実現ならず。



スパーの映像こそ残っているが、
実際に試合を見たかった。









Number 594号では徳山のテクニックが
クローズアップされたかたちになったが、



試合に向けた練習中に背中を痛めて
ロードワークもままならないことがあった徳山。



しかし試合はいつも通り普通にこなしていた。


徳山が度々口にする



「要は気合」



という言葉。



テクニックもさることながら
メンタルの強さも相当なものがあったと思われる。


在日コリアンの英雄という立場は
南北関係がギクシャクし

拉致問題もクローズアップされた当時は

理不尽は非難を受けることもあったようだ。



しかし海外誌も認める王者に成長した徳山。


並のメンタルであるはずがない。




因みに「気合」の正体とは





覚悟である。









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